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調べてみた

海軍タルト零戦特攻隊員向けに作っていた片手で食べられるお菓子を鹿屋の富久屋が再現

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特攻基地。知覧は陸軍、鹿屋は海軍です。

鹿児島の特攻といえば
「知覧」だけではありません。

鹿屋もです。
知覧は陸軍、鹿屋は海軍です。

実は鹿屋は日本で最も多くの特攻隊が出撃した歴史があります。
鹿屋海軍航空基地からは908名、
串良海軍航空基地からは363名の特攻隊員が出撃しました。

鹿屋は映画の「永遠のゼロ」の舞台です。

「海軍タルト」鹿児島は鹿屋のお菓子屋「富久屋」が再現

そんな特攻基地としての歴史のある鹿児島県の鹿屋市。
うちの亡くなった祖母から、
戦時中は特攻隊員の出陣の見送りをした話を
聞いたことがあります。

そんな特攻隊員ゆかりの鹿屋の
「海軍タルト」を紹介します。
鹿屋の菓子店「富久屋ふくや」の和菓子です。

新宿の小田急百貨店の地域の物産展でも出店していて
食べたことがあるのですが、素朴ながらもしっかりした
味わいのある和菓子でした。

海軍タルトの富久屋について

富久屋は1860年頃に創業した老舗で、
海軍から支給された砂糖などを原料に菓子を作って基地に納めていました。

当時は「海軍御用達 若松菓子店」の看板を掲げていたようです。

「海軍タルト」は貴重だった砂糖を使い、
出撃前の隊員に渡されていたと伝えられています。

鹿屋では毎年特攻隊員の慰霊祭があり、
開催されるたびにテレビのニュースになります。

今年も夕方のニュースで報道がされてて、
その中で海軍タルトが取り上げられていました。

毎年、追悼行事を営む女将(おかみ)の北村馨さんは、
「国や家族を思って亡くなった若者たちを思い出し、
平和の尊さを考えるきっかけになれば」と話している。

店に遊びに来る隊員も多く、
幼かった北村さんを妹のようにかわいがってくれた。
親しい隊員の出撃日には、屋根の上から空を見上げた。
別れを告げるように低空飛行で旋回し、
白いマフラーをなびかせる姿を今も覚えているという。

昨秋に親族が集まった際、
隊員が機内で食べるための菓子を店で作っていたことを初めて聞いた。
基地で働いていた11歳年上の姉も、
出撃前の隊員たちが菓子をポケットに入れていた様子を思い出した。
こうした話を聞き、
「彼らが最後に口にした菓子を遺族にも味わってほしい」と考えた。

鹿児島地元ニュース番組より

特攻と言うと、
戦後の映画やドラマなどで、
戦後世代の勝手な思い込みで
ネガティブに描かれることがあります。

でも、当時を生きた証人は
こんなことをインタビューでおっしゃっていました。

「惨めな思いで飛び立ったのではないということを伝えたい」

鹿児島地元ニュース番組より

この言葉が印象的でした。

実体験者のみぞ知るお話です。

正直、我々戦後世代は伝え聞いた情報が全てです。
脚色されたり、教えられた戦後教育では、
戦後の自虐史観のバイアスがかかっています。

ですので、実際にその時代を生きた
当事者お言葉は貴重です。

体験談で直接伝え聞いた話を少しシェアすると、

うちの祖母も、また戦争を経験した小学校の時の担任の先生も、
鹿屋には米国の戦闘機が低空飛行で現れ、
機銃掃射をして行ったという話をしていました。

低空飛行の際はエンジンを切っていたとも言っていました。
いきなり機関銃の音がして撃たれるのは恐怖です。

婆さんも、恩師もそんな時代を生き延びてきています。
そんな時代で青春期や幼少期を過ごしています。

「海軍タルト」再現の苦労、レシピは手探り資料が無い!

「海軍タルト」の再現に際し苦労もあったようです。
そもそもレシピが無く、再現は手探りだったとのこと。

レシピや資料が残っていなかったため、
姉や店で働いていた人から味や形などを聞きました。

当時、店で用意できた材料からレシピを推測。
今年2月頃から、職人らと試作を重ね、
小麦粉と卵、砂糖などを混ぜて焼き上げたスポンジ生地に、
小豆あんを挟んだ菓子を完成させました。

空の上でも片手で食べられるようにと、
細長く切り、1本ずつパラフィン紙で包んでいた点も再現しました。

海軍からの要件として
「操縦しながら、片手で食べられること」が挙げられていたようです。

特攻隊員遺族の言葉「最後の瞬間にひもじい思いをしていなかったようで安心した」

海軍タルトは特攻隊員の遺族の方々に配布されて好評だったようです。

4月上旬、北村さんら有志が
16年前から鹿屋市主催の慰霊祭に合わせて営んでいる追悼行事で、
参加した遺族に配ったところ、
「最後の瞬間にひもじい思いをしていなかったようで安心した」との声を聞いた。

売り物にする予定はなかったが、
戦争について多くの人に考えてもらうきっかけになればと、
5月から1本180円で販売を始めた。
売り上げの一部は、追悼行事の資金にするという。

引用:2017.6.7読売新聞より

今まで「海軍タルト」の存在は認識されていなかったので、
ご遺族の「ひもじい思いをしないでよかった」が全てを物語っています。

「海軍タルト」の裏のドラマを知ることにより、
今一度、特攻隊員の方に想いを馳せ、
現代を生きるものとして平和の在り方などを考えるきっかけになりました。

鹿屋市主催の慰霊祭の場所:小塚公園

鹿屋市(鹿児島)のお土産

鹿屋は旧日本海軍ゆかりの場所。海軍といえばカレー。
零戦の勇姿が印象的な海軍カレーが鹿屋のお土産として販売されています。
パッケージのインパクトもさることながら、
味も良かったです。

登場以降、鹿屋を代表する
鹿児島のお土産の定番となっています。
ふるさと納税の返礼品にもなっています。

不死身の特攻兵 – 9回の出撃から生還した特攻兵の話

鹿屋といえば特攻隊基地。

そんな特攻隊員の話で興味深い書籍があります。
不死身の特攻兵です。

「必ず死んでこい」という上官の命令に背き、
9回の出撃から生還した特攻兵の話です。
フィクションかと思いきや、ノンフィクションです。

鹿屋基地ではなく、フィリピンの話ですが、
日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊『万朶隊』の隊員の、
佐々木友次さん、当時21歳の若者の実話です。

小説が話題になって、読みやすい漫画にもなっています。
2019年8月15日にTVでも取り上げられてます。
奇跡体験!アンビリバボーでご覧になったかもしれませんね。

さらに、佐々木友次さんは
小説「永遠の0」のモデルとも言われています。

PR: 鹿屋(鹿児島県)へのアクセス方法

鹿児島県鹿屋市まで東京からおおよそ4〜5時間です。

羽田から飛行機で約1時間50分です

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電車はありません!

鹿屋には電車がありません。

電車が利用できないので空港から高速バスに乗る必要があります。
空港から鹿屋市までは高速バスで2〜3時間です

レンタカーがおすすめ!

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鹿屋(鹿児島県)のホテル情報

ホテルは市役所の近くにリフォームされたものが数多くあります。

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