Google Mapを頼りに
西郷隆盛終焉の地へ向かいました。
西郷隆盛の終焉の地までの話
時は明治10(1877)年9月24日未明、
城山を包囲した政府軍は一斉に砲撃を開始し、
薩軍は、敵陣目掛けて岩崎谷を駆け下り、最後の抵抗を示しました。
その時に西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、
この「終焉の地」にたどり着きます。
「晋どん、もうここらでよか」と
別府晋介の介錯によって最後を遂げたと言われています。
西郷隆盛の終焉の地まで行ってみた。路地はひっそり
大通りから外れたJR鹿児島本線沿いのひっそりとした場所に
西郷隆盛の終焉の地はありました。
ちゃんと看板も出ているので
わかりやすかったです。

ほとんど何もなく綺麗に整っていて、
神社のような雰囲気があります。
「晋どん、もうここらでよか」の地は静かだった
「晋どん、もうここらでよか」の看板に詳細の解説がなされていました。

私が訪れた時は誰もいなく静かなものでした。
通りを歩く人もまばらで、
私の存在に気づいて「おっ!ここなんだー」って顔をして
通り過ぎていた様子でした。
まとめ:西郷どんの大河ドラマが始まったら賑やかになるかも
大河ドラマが始まったらきっと訪れる人も増え、
賑やかになるのでしょうね。
鹿児島市に観光で訪れた際は是非とも立ち寄ってほしい場所です。
西郷隆盛終焉の地:
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